お知らせ校長室から
2025.11.04
【校長便り11月】薬師寺
校長 永井康博
 我が坊主フレンドの奈良薬師寺執事長大谷徹奘先生が、この度副住職に就任されました。心よりお祝い申し上げるとともに、これからの益々のご活躍をお祈りしたいと思います。
 徹奘先生は1963年、東京都江東区にある浄土宗の重願寺の二男として生まれました。17歳の時に当時薬師寺住職であった故高田好胤先生に師事し、薬師寺の僧侶となりました。高田好胤先生に憧れ、覚悟を決めて入った世界ですが、想像を絶する厳しい修行から何度も逃げだそうとしたこと、ご本人から聞いています。1999年からは「心を耕そう」をスローガンに全国行脚を始め年間300回もの法話会をされています。済美高校とのご縁は、2020年の文化・芸術発表会でのご講演をきっかけに、その後2年に1回ご講演をいただいています。生徒からも毎回大好評で、済美高校全体が徹奘先生の坊主フレンドになっています。
 今までにも、この「校長室から」で徹奘先生に関することを述べてきましたが、今回は薬師寺について触れたいと思います。
 薬師寺は680年に時の天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って造営を発願されたことに始まります。その後の遷都で最終的には現在の場所に移りますが、奈良時代においては天下の四大寺の一つに数えられ大規模な寺院となりました。その後の自然災害や戦火により多くの堂塔を失い、創建当時のものは有名な東塔(国宝)のみです。
 私が最初に薬師寺を訪れたのは、中学校の修学旅行の時でした。いずれかのお堂の中で聞いたお坊さんの法話が、とにかく面白かった記憶があります。残念ながら内容までは覚えていませんが、とにかくおもしろかったことは記憶にあります。その後、大学時代、教員になってからも幾度となく訪れていますが、行く度に建物が次々と再建されていました。寺院の再建には多額の費用を要しますが、その大半を成し遂げたのが徹奘先生の師、高田好胤先生です。高田先生は多額の資金調達に際し、企業等の寄付を全て断りました。(当時、日本は高度経済成長期で高額寄附の申し出が多くあったようです。)1968年から高田先生は、「物で栄えて心で滅ぶ高度経済成長の時代だからこそ、精神性の伴った伽藍の復興を」と訴え、企業や団体からの寄附ではなく、一般の人たちに写経をしてもらい、その納経料(当時一巻千円)「写経勧進」による再興を始めました。現在も写経は続いていますが、建物自体の再建は平成末期に完成しており、今現在は「いにしえの白鳳大伽藍」がよみがえっています。薬師寺には堂塔だけでなく薬師三尊像・聖観音像など多くの国宝や重要文化財の仏像もあります。東大寺・法隆寺には行ったことはあるが薬師寺には訪れたことがない人もいるかと思いますが、近鉄西の京駅すぐ前にあり、近鉄奈良駅からも10分程度とアクセスも大変良いので、行かれることをオススメします。一般の参拝客向けの法話も行われています。私も次回お参りした際には、写経をして金堂に納めたいと思っています。
 なお、大谷徹奘先生は「メールde法話会」と称して週一回メッセージを発信されています。先生のホームページからメールアドレスを登録しておけば、毎週金曜日に送信されてきます。こちらも是非オススメします。






