お知らせ校長室から
2025.06.09
【校長便り6月】船中泊の旅は松山の文化
校長 永井康博
先日30日(金)に県総体の総合開会式が県武道館で開催され、済美高校からも11人の生徒が代表として参加し、堂々とした素晴らしい行進を見せてくれました。ちなみに、総合開会式は今年が最後となります。以前は城山公園の堀之内にあった松山市営球場のグラウンドに全選手が集合して実施されていました。内外野のスタンドに陣取った松山市内の高校生が、応援合戦や人文字を披露したのは懐かしい思い出です。開会式がなくなるのは少し寂しい気がします。
この後の四国総体、そして「開け未来の扉 中国総体2025」での本校生徒の活躍を期待しています。
昨年暮れに、私にとって残念なニュースが飛び込んできました。内容は、松山・小倉フェリー(株)が2025年6月30日をもって航路を廃止するというものでした。その時点で、すでに1日おきの運行になっており、廃止は時間の問題と思ってはいましたが、やはりショックでした。
これまで、松山の人が関西方面や九州方面へ旅行する際の主要な交通手段として、夜行の船が利用されてきました。私も小学3年生の時に生まれて初めて、高浜港から大阪行きの客船に乗船したことを、今でも鮮明に覚えています。当時はまだ松山観光港が無く、高浜港と三津浜港から各方面へ船が出ていました。私が乗船した関西汽船の「こがね丸」は、約2000トンの客船で、大きくて立派な船だった印象があります。夏休み中ということもあり、船は超満員。船室内に入る事は出来ず、毛布を借りて甲板で横になって一夜を過ごしました。
その後、何十回も乗船しましたが、夜行便の良いところは、時間が有効活用でき、しかも安価。大部屋で雑魚寝状態ではありますが、そこかしこで話の輪ができ、結構楽しいものでした。済美高校でも修学旅行や部活動の遠征でよく利用していました。そして、最盛期には松山観光港から神戸・大阪方面行きの夜行便(フェリー)が毎日4便程度出ていたと思います。夜、船に乗って旅を楽しむということは、松山の人にとって、一つの文化であったと思います。
しかしながら、1988年の瀬戸大橋・1998年の明石海峡大橋・2006年のしまなみ海道の開通などにより利用者が減少し、2011年4月末をもって松山から関西方面に向かう船便は無くなりました。そして、今月末をもって小倉行きフェリーの廃止。利用者の減少・燃料費の高騰など、廃止の理由は理解できますが、やはり残念でなりません。九州と関西方面を結ぶ夜行フェリーは今でも複数便運航されており、そのいずれかの便を松山に寄港させようという動きはあるようで、是非とも実現してほしいと願っています。「船中泊の旅」という一つの松山の文化の復活のためにも。