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2011.11.28 済美高等学校図書館

青少年読書感想文全国コンクール(愛媛県)で以下の2作品が入賞しましたので、紹介します。

「意識を変える」(『野川』長野まゆみ 著)
2年4組 西畑 万葉

 「意識を変えろ。」私は心の緊張が解けるのを感じた。それと同時に、空から見た景色、川の流れる音が、やわらかな風のように私の心を満たしていく。互いの心を思いやり、支え合える仲間の存在、自分を見つめることの大切さを、この本は明確に教えてくれた。
(中略)
人生の嵐は誰にでも訪れる。しかし、それを乗り越えられるかどうかは、自分の気持ちしだいだ。「意識を変えろ。」という言葉は、音和だけでなく、私にも重く響いた。目の前のことに精一杯であった私にとって、とても難しいことのように思えた。私は今まで、勉強することや人の話を聞くことが、この先の人生にどう役立つのか、確かな答えがあるのかどうかに、こだわっていた。しかし、この本を読んで、はっきり分かったことがある。あることをすることに得はなくても、役立つかどうかも分からなくても、それをすることは決して無駄ではない。互いに関係がなさそうに思えたものが、つながっていくことにこそ、大きな意味がある。そこから新たな要素も生まれる。その幸福を得るために、私たちは結果が見えないことにも取り組んでいくのだ。私が硬いと思っていた殻は、意外と柔らかなものだった。そうやって人は、どんな嵐でも乗り越えていくことができるのだ。
(中略)
最後にもう一つ、人生最大の難題とでも言える「自分を見つめる」ということ。私は今まで何回もこの言葉に触れてきたが、こんなにも深く考えたのは初めてであった。“自分を見つめる”、この本の中で言えば、“鳥の目で世界を見つめること”。若い鳩コマメが飛ぶことを忘れたのは、自分を見失ったからだ。しかし、新聞部員の熱い思いのもと美しく羽ばたいた。音和にこの鳩がなついたのは偶然ではない。自分を取り巻くものすべて、自然、友人、家族、みんなが「自分を見つめる」ために欠かせないものなのだ。私はこんなにも有り難く思ったことはない。自分を見つめることが、こんなにも大きな意味を持つことだとは思いもしなかった。大切なのは、目の前のことだけではなく広く見渡すこと。そうすれば、自分を正しい方向に導いてくれる道が見えてくるはずだ。そのための第一歩として「意識を変える」ことを忘れてはならない。
飛ぶことを忘れたのなら、思い出せばいい。嵐で羽が汚れたのなら、またきれいにすればいい。飛べなくなったのなら、他者を手本に練習すればいい。私も音和のように、広く見渡せる美しい目を持ちたい。飛ぶことを忘れていたコマメが再び大空に舞い上がったように、自分の鳩を空高く羽ばたかせたい。野川のように澄んだきれいな心でありたい。幸福を求めて、今日も私の鳩は空を舞っている。そこにはいつもとは違う景色が、どこまでも果てしなく広がっている。


 

「『人間失格』を読んで」(『人間失格』太宰治 著)
2年9組 片山 栞

  読む前から多少は予想していたが、それにしても暗いものであった。普通の人間であれば、何も疑問をもたない日常に疑問を感じ、作者は恐怖していたのだ。
(中略)
空腹を感じ、何かを食べたらそれが満たされる、人間が当たり前のように感じているその感覚が、作者には理解できなかったのだ。それどころか、食事というものに対して恐怖さえ感じていた。私は、そんな作者のことを極めて異端な人だと感じ、その印象は結局最後まで続くこととなった。成長していくにつれて、作者は人間そのものに対して恐怖するようになった。
(中略)
どこまでも陰惨で、その一生に幸福というものは果たして存在したのだろうかと、そう感じざるを得なかった。幸福のない人生、ただ恐れ逃げるだけの人生、それを人間の一生と言えるのだろうか。実際、作者も自身のことを「人間失格」だと表現しているではないか。
しかし、こんな一言も見つけた。「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。」
作者の一生に、幸福は存在していたのだ。ただ、幸福は永遠にあるものではない、いつか失う時がくる。作者は、それを恐れていたからこそ自ら幸福を拒絶し、幸福を失う大きな悲しみから逃げていたのではないだろうか。それこそが、作者にとって唯一の生きていく術であり、彼の選んだ生き方だったのだ。だから、食事というものにさえ彼は恐怖していた。食事によって得られる幸福も、時間が経てば失うことになり、また空腹という苦しみを味わわなければならない。作者は限りある幸福と、それを得るために苦しむことを恐れたのだろう。そして作者は、他人から尊敬されることをも拒んだ。他人からの尊敬を失うことを恐れるがゆえに、誰からも尊敬されない、そんな生き方を選んだのだ。作者の一生に幸福が存在しなかったのではなく、存在していたはずの幸福を受け入れる勇気が作者には無かったのである。
人は、幸福を求めて生きる。しかし、幸福の多くは、何らかの努力によって手に入れられるものである。努力することで幸福を手にし、それを失えばまた新たな幸福のために努力する。そうして生きていくことこそが、人間であるということなのではないだろうか。生きることの苦しみを知っているからこそ、生きることの喜びを感じられる。それと同じように、手に入れるための苦しみと失うことの悲しみを受け入れて初めて幸福は成り立つのだ。苦しいことや辛いことから逃げようとする弱さと闘い、乗り越えていく。それが、「生きる」ということなのである。
もし、作者に「生きる」ことを受け入れる勇気があったとしたら、彼はまた違った人生を歩んでいただろう。しかし、最後のページに作者はこう書いている。「いまは自分には、幸福も不幸もありません。」作者は、人間であることを受け入れることができなかった。そんな作者の一生には、自身が言ったように、幸福も不幸も存在しない。やはり「人間失格」だったのだ。



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